今回のブックレビューは、
*** 『谷口雅春著作集 第8巻 無限供給の扉を開く』
谷口雅春(著) ***
*** 『谷口清超新書文集10 人生の断想』
谷口清超(著) ***
です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪


谷口雅春著作集 第8巻 無限供給の扉を開く
著者:谷口雅春
言葉は創造力をもつ (p.128~129) 
言葉は創造力をもつものである。言葉によって宇宙の潜在意識に対して呼びかければ、その創造力によって、単に健康の問題のみならず凡ゆる人生の問題を自分の欲する通りに支配し解決することができるのである。何故なら、「個人の潜在意識」は宇宙の潜在意識の大海の中にあり、個人の心の一波一波は宇宙の潜在意識を媒介として、その波長に合うものを引き寄せるからである。若しあなたが金銭を必要とするならば、その問題が自分の心に思い浮かんで来るたび毎に、「心配」する代りに、
「神は既にわが必要を満たし給うたのである。有りがとうございます」
と感謝するようにするがよいのである。そして自分の盡くし得る限り、手近にある問題に就いて出来るだけ、愛念をもって他の人の利益のために働いてあげるがよいのである。
「他の人の利益のために働く」と云うことは、「神の愛念」と波長を合わせるために絶対必要なことなのである。「神は既にわが必要を満たし給うた」と云うのは「實相の既成事實」なのである。「感謝」と他の人々への利益のために仕えると云う愛行の實践は、既に神の与え給うている恵みに波長を合わせて、それを現象世界に映し出すために必要な手段なのである。「蒔いた種は生える。蒔かぬ種は生えぬ」が、現象顕現の法則なのである。
「人々の利益のために奉仕する愛行」を實践すれば、それが「蒔いた種」となり、やがて発芽して、自分の實生活にも豊かなる富が實現することになるのである。併し自分の肉體が不自由であり、経済的にも不如意であり、肉體的にも経済的にも、人の利益のために奉仕することができないときには、どうしたら好いのだろうか。そんな場合には心の世界で、他の人々が幸福になるよう「祝福の念波」を送るようにすればよいのである。

谷口清超新書文集10 人生の断想
著者:谷口清超 
拝むこと (p.228~230) 
ひとを拝むということは、大変大切なことだ。それは、相手の現象を拝むのではない。しかし、相手の現象をも拝むのである。よく人は、「私はあの人を拝んでいます」というが、実はまだ拝んでいない。それは、相手を「よくしようと思っている」だけである。
「よくしよう」というのは、相手の現象にひっかかっているのである。そして、心では、「私は相手の実相を拝んでいる」と思うのである。しかし、依然として相手の現象をよくしようと思っていて、拝みは実相にまで達していない。
ところが、今、すでに、相手の現象には、実相があらわれている。今まで「悪い」と思っていた相手の現象に、「真象」があるのだ。よいところがいろいろとある。それが「悪い」と思われていたのは、こちらの心が曇っていて、それゆえに善いことが見えなかったのである。もうすでに、相手はよかったのである。これから、よくするのではない。すでに完全によいのである。「よくしてやる」という思い上りをすて去ることだ。「ああ、相手はよかったのだ!」と実感する。
それが実相をみるということである。そのように実感しなくてはうそである。それは理屈ではなく、全生命的体験である。そのとき、相手の実相を拝んだことになる。相手の実相が、完全に現象にあらわれてきて、よい相手が忽然と出現するのである。
この法則には全く例外がない。「そんなことで大丈夫かしら」とためらうなかれ、大地を打つ槌がはずれても、この法則のはずれたためしはない。これを信じ行じなくて、何の信仰ぞや。「生長の家」は単なる処世術や修養法ではない。「神の子」の実相のみ独在することへの強烈な信仰である。それは烈々たるものだ。人生の怠惰や逡巡を焼きつくす「炎」である。この信仰の炎を燃え立たすとき、いかなる現象悪も、たちどころに消える。現象はナイのであるから、どんなにでも変化する。
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