今回のブックレビューは、
*** 『日々の祈り――神・自然・人間の大調和を祈る』
谷口雅宣(著) ***
*** 『夢の地平線』 谷口純子(著) ***
です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪


日々の祈り――神・自然・人間の大調和を祈る
著者:谷口雅宣
日々刻々新生を自覚する祈り (p.253~256) 
神の子は常に新生し、仏は無数の現象身を現しつつ衆生を導くのである。しかし、神の子や仏に憎悪や敵意、嫉妬心はない。在るのは「神の心」だけであり「仏心」のみである。にもかかわらず、あなたの好まない「憎しみ」や「敵意」や「意地悪」を自ら現象させることは、愚かなるかな。実在でない偽象を映し出すことは愚かなるかな。偽象は必ず崩れ去るのに、偽象をもって「これが彼(彼女)の本心だ」と信じることは、愚かなるかな。それは、神の創造になる完全世界への不信仰であり、悉有仏性への不信心である。すべての人間は「神の子」であるという教えを忘れるなかれ。人間の本心は「仏」であるとの信仰を棄てるなかれ。
現象が常に遷り変わるということは、あなたの肉体も常に変化し続けているということだ。言葉を換えれば、あなたの肉体は常に新生しているのだ。それを認めずに、昨日と同じ肉体が今日もあると思うものは、新生した細胞を昨日の肉体と同じ状態に閉じ込めようとしているのである。一年前と同じ肉体の自分がいると思うものは、一年前のシミや故障や機能不全を再生させようとしているのである。肉体の免疫系は神の癒す力の発現であるから、あなたの心が「迷い」によって抑えつけない限り、シミや故障を修復し、機能を健全化させるために常に働いているのである。ある科学者の試算では、人間の肉体を構成する原子は一年間で九八パーセントが入れ替わる。外界と接する部分の更新は特に顕著であり、胃の内側の粘膜の細胞は五分ごとに入れ替わり、皮膚の表皮細胞は一ヵ月で交替し、堅固に見える骨でさえ三ヵ月でその原子は更新される。これが新陳代謝であり、肉体が常に変化し新生している証拠である。
こうしてあなたの現象の心は変化し、物質としての肉体も変化することが分かれば、現象世界は日々刻々変化しつつ、新生を待っていることが分かるだろう。新生のための青写真は、あなた自身の心である。あなたが“古い自分”こそあなただと信じれば、“古い自分”が新しく作られるのである。あなたが“古い自分”から目覚めて“新たな自分”へと向おうとすれば、“新たな自分”が創られるのである。あなたの自覚一つによって、日々刻々繰り返される変化は、「新生」へと歩み始めるのである。だから、「人間は神の子である」との信仰は、新生のための最も重要な一歩である。神の子は「生み出す力」を自らもっているのだから、自ら新生しているのである。

夢の地平線
著者:谷口純子 
人のために生きる (p.58~61) 
「人生に終わりなき宴なし」という中国のことわざがある。どんなものにも必ず終わりがあるという意味だ。終わりがあるからこそ、今を一所懸命生きようと思えるし、またつらい時には、それが永遠には続かないというメッセージでもある。
この世のものにはすべて終わりがあると自覚することは、自分を謙虚にする。私たちは、自分の力で何でもできると思いがちだが、孤独感はその傲慢さから来る。自分や自分の置かれた環境を素直な気持で見渡せば、自分だけの力でできることなどほとんどない。私たちの日常は数限りない人々の善意と協力によって支えられている。けれども物質的に豊かになればなるほど、自分の力を過信し、与えられている恩恵が見えなくなりがちだ。
お釈迦様は王宮に暮らしていて、物質的には何の不自由もない生活の中で、生きることに悩んで修行の旅に出た。わずかな従者と粗末な食糧だけで、山や森での厳しい修行に心身を苦しめた。が、やがて「苦行は悟りの因に非ず」と気がつかれ、下山して菩提樹の下で瞑想されたと伝えられている。独力の修行から、得られるものは少なかったのだ。
痩せさらばえた修行僧に、バラモンの娘が牛乳粥を差し出した。森の中で雨露を飲み、木の実や木の皮などを食べて飢えをしのいでいたお釈迦様に、美味しい牛乳粥が恵まれた。王宮に暮らしていた時ならば、粗末な食事と思ったかもしれない。が、その時、無一物で飢えていたお釈迦様には、天からの恵みのように尊く、ありがたく感じられたに違いない。
この世界は殺し合い、奪い合い、食い合いの世界――と思って苦しんでいたお釈迦さまに、自分が要求したわけでもないのに、目の前に恵まれた粥。それはこの世が大いなる慈悲、生かそう生かそうとしている目に見えない偉大な力に支えられていることの証しだった。
世界を見る目が逆転した。「自分が、自分が」と思っていた時には見えなかったものが、見えたのだろう。自分の力などどこにもない。自分でできることなど何もないと分かって、周りを見渡せば、自分が何をしなくても、命を生かそうという大きな力に満ちている世界が広がっていたのである。
人は皆自分のために生きていて、自分の利益や得になることを優先して生きているように見える。しかし、それは表面の姿だ。その心の奥には、自分の行為を他の人の喜びにしたいという願いがある。
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