今回のブックレビューは、
*** 『詩集 光の四季』     渋谷晴雄(著) ***

です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪




詩集 光の四季


著者:渋谷晴雄




私を訪れた、ある体験(p.209〜211)

 私は神想観実修のあと、大学の構内の道を歩いていた。するとなぜか、急にすがすがしく洗われるような気持になった。
 そのとき私は、不思議なことに、“自分の後ろの方にもう一人自分がいる”ということに気がついた。その数歩後ろにいる自分が、この歩いている自分を上から優しくじっと見つめているような、ちょうど歩き出した子供を見守る母親のように、愛情と気づかいの気持でじいっと見守ってくれている、そんな感じがした。
 その瞬間、はっと気がついた。歩いている私はほんとうの私ではなく、ほんとうの私は、見守っている方の私になっていた。
 私と、私が見ているまわりの世界は別々のものではなくて、私の中に木もあり、草もあり、山も青空も雲もあり、一切の広がるものが私のうちにあることを感じた。
 私はそばにある木を見た。木は、私が知っている、過去からずっとある古い木ではなかった。ちょうど映画のフィルムのコマのように、一瞬、一瞬、何もないところから、はじめての姿で現れては消え、現れては消え続けていた。物質はない。しかし、そのつど、そこに聖なる存在として、木や空や山々が贈りもののように立ち現れるのだった。
 私もまた、過去からの悩める私ではなかった。私は一瞬一瞬死に、一瞬一瞬そこに新たに生まれていた。すべてが炎のようにきらめき、そこに在るということに、私は言いようのない感謝と浄らかな気持をおぼえた。すべてのものは祝福され、愛されて、この世界に在らしめられている。古い我の殻はこなごなに砕け、いま、はじめての祝福された私が、道を歩いていた。

 この「物質はない」と同時に、現象の向こう側には、光に満たされた実在の世界があることを実感した出来事は、私がその後印刷会社を辞して、昭和三十七年に東京の生長の家本部に奉職し、さらなる真理の探究に向かわせる転機となった。またそれと同時に、私のその後の詩作の精神的な基盤ともなった。
 この体験は、世界や自然についての私のそれまでの見方をすっかり変えてしまったし、その後もたびたび、同様の体験が私を訪れたのだった。そこから私が自分なりに発見し、詩作の上に活かし続けていることをいくつかお話ししたい。