今回のブックレビューは、
*** 『普及版 めざめゆく魂』 谷口輝子(著) ***
*** 『心の散歩道』 谷口恵美子(著) ***
です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪


普及版 めざめゆく魂
著者:谷口輝子
創刊当時の思い出(p.65~67) 
夫は「今起てよ、今起たん」との決意のもとに『生長の家』の創刊にとりかかった。余裕の少いサラリーマンとして、雑誌の発行は大きな冒険であった。私の心の中には一沫の不安があった。そして口に出して夫にも言ったものであった。けれどもの夫の決意はもうどうにもならないほど強固なものであった。よしそれほどまでのお心ならば、私も全霊をかたむけて協力しようと、身の引きしまる思いをして誓い合ったのであった。ヴァキューム・オイル・カンパニーから帰宅されて、夕食をすまし、それからがいよいよ執筆である。体のあまり丈夫でなかった夫は、一日の精神労働でふらふらになって家庭に帰って来るのであった。けれども家庭に於いてくつろぐ暇もなく、夜半にかけての執筆であった。それは来る日も来る夜もきびしい寒夜の連続であった。全身が凍えてくるので、夫は寝床に腹這いになって徹夜して書きつづけられる日もたびたびであった。インスピレーションを感じてくると、寒さも空腹も明日の勤めのことも忘れて、ひたすらに筆を走らせていられるのであった。翌朝はかならず五時には起床して近所の銭湯へ行かれる。その留守の間に、私はお掃除と炊事をして待つのであった。八歳の一人っ子の恵美子と、親子三人きりの朝食をすますと、夫は阪神電車へと急ぐのであった。一冊分の原稿がまとまった時の夫の喜ばしそうな顔は、妻にとっても同じ喜びと安心とであった。有効社印刷所の小林為兄さんが校正刷りを持って来て下さる。お台所を片づけたばかりの冷たい手で、夫の眼を通した校正刷りを取上げて私も赤インクのペンを運ばすのであった。夫も妻も、一日の仕事の疲れも忘れてハリ切っていた。
出来上って来た創刊号一千部、ああ何という喜びであろう。純白の紙、ハッキリとした印刷、表紙に描かれた筋肉隆々とした裸身の男の立姿、その手に高々とかざす灯の光よ。その表紙絵こそ内容にふさわしいものであった。一文一字、真理の言葉に輝いていた。この誌を読む人の上に魂の喜びあれ、この誌を読む人々の生活に光明あれ、と祈る夫の願いを、神よみそなわし給えと深く祈るのであった。

心の散歩道
著者:谷口恵美子 
プレゼント (p.24~25) 
二歳半の
小さい手で
やっと
みかんの皮をむき
口に入れようとして
ふと
わたしの顔を見た孫は
せいいっぱい手を伸ばし
わたしの口に
最初の一ふさを
入れました
半年ぶりに逢った孫の
せいいっぱいの
プレゼントの
甘ずっぱい味を
わたしは今も
忘れません
父のことば (p.88~89) 
ダークグレーの
古びたノートは
父の育児日記
表紙をひらくと
「大正十二年十月十日
此の世に生を受けし
恵美子の為に」
よろこびと
心配とに
いろどられた
日記は
翌年十一月二十日の
「次第に元気」
という言葉のあとは
白紙
父三十一歳
九十一歳になった父が
身を清めるように
食べものを口にしなくなり
ふと目覚めると
わたしを見て
「恵美子が元気でうれしい」
花を写して (p.144~145) 
花たちの
もっとも美しい姿を
見出したいと
足元の小さな花に
ひざまずき
風になびく花を仰ぎ
カメラを手に歩きながら
ふと立止まる
その昔 わたしは
果してこのように
子供たちの良さを
見つづけたであろうかと
さまざまな花が
美しく咲くように
いま子供たちが
生きていてくれるのは
神の御業なのか
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