今回のブックレビューは、
*** 『神 真理を告げ給う』 谷口雅春(著) ***
*** 『こうして喜びの人生へ 教区練成会体験談集』
生長の家本部(編) ***
です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪


神 真理を告げ給う
著者:谷口雅春
第五章 泥中にあって既に咲く蓮華 
(p.129)
人間の肉体がどんなに健康であっても、やがて死ぬものであるというのは、“肉体”というものが“人間”そのものでないからなのである。人間は“神の子”であり、神の最高の自己実現であるから、神が不死不滅であるように人間も亦、不死不滅である。“人間”そのものを死すべきものだなどと考えてはならないのである。人間そのものは時に応じ、必要に応じ、修行のためや、訓練のために、さまざまの境涯に於いて、さまざまの姿をあらわすけれども、結局、その本体は不死であるのだ。
(p.135~137)
あなた達は“神の子”として、神の生命の延長として、神の生命の具体的な最高顕現として此世に出現したのであるから、決して被造物ではないのである。あなた達人間は“わたし”の天地創造の主体者の後継者として、大自然の生まの儘のはたらきでは成就し得なかったところのものを編曲し、編成し、編纂し、一層完全に、被造物の各々に秩序ある連繋を与えて、大自然のままでは混沌として秩序なき状態であった万物を、一層秩序ある状態に再組織せしめ、大自然の一切のものが、バラバラの無秩序の繁茂ではなく、美的秩序を得ることによって、完全なる有機体即ち渾然一体の生命体ならしめる使命を与えたのである。
あなた達は“神の子”であり、一切の“美”と“善”と“完全”と“調和”と“繁栄”と“豊富”と“歓び”と“智慧”と“愛”と“勇気”と“決断”と“断行”と……ありとあらゆる美しきもの、善きもの、愛すべきもの等……称讃さるべきことごとくの神徳が、“実相”として内に宿っているのである。
あなた達は、自己の内に宿るところの“神の子”たる実相を潜在状態に置くことに満足せず現実に引き出し顕現してこそ、まこと神の世嗣、“わたし”の跡継ぎとしての使命を完うしたことになるのである。

こうして喜びの人生へ 教区練成会体験談集
編集:生長の家本部 
神の救いの御手が (p.120~121) 
「人間は本来、皆神の子である。神の生命を自己の内に宿して、生かされているのだから悪は無いのである。感謝は総てを癒すのである。天地一切のものに感謝しなさい。夫、子供に感謝しなさい。争いの念波は神の救いの念波を受けることができない。」と感謝、感謝、感謝の連続のお話でした。私は「大調和の神示」を拝読する度に号泣しておりました。
ここだったのだ。私は「人間神の子」だなんて一度も思ったことはありませんでした。又、感謝もあまりしたこともなく、不平不満の中で、お金、お金、お金とお金を追い求めて幸せを追求していたのでした。「浄心行」では大懺悔で涙と鼻とで、息も吸えない位に号泣しておりました。
道場内は「ありがとうございます。ありがとうございます」と交わす合掌、感謝の言葉、光、光、光明の霊波の充満した光輝く練成会に感激して、幾度も参加させて頂きました。“ああ、生きていてよかった! こんなに素晴らしい世界があったのだ。死なずにいてよかった”と涙がとめどもなく流れ、嗚咽の連続でした。
この素晴らしい練成会に参加させていただいて、魂の悦びと幸せを生命の底から感じた時、初めて主人に子供に感謝することが出来ました。
「私は不幸せだ」「私は不幸せだ」と言って、不幸に波長を合わせて、心に原型を作り、不幸な運命を自分から引き寄せていたのでした。“全ての問題は、みな自分の心の世界で自分が自作自演していたのだ”と心の底から懺悔し、感謝することができました。“全ては自分の心の影であったのだ。主人や子供はこの私を生長の家に導いてくれる為の観世音菩薩であったのだ”と思ったとき、徹底して感謝することが出来ました。
そして主人も私も子供も万物を生かさずにはおかない宇宙大生命によって生かされているのだ。すべてを神様に全托しましょうと決意しましたとき、迷いがなくなり、心の自由を感じ明るく伸び伸びと生きる悦びを実感できるようになりました。本当に“自分が変われば相手が、世界が変わる”これが真理でした。
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