今回のブックレビューは、
*** 『秘境』              谷口雅宣(著) ***
*** 『谷口雅春童話集5 幸福ものはだれ』
                     谷口雅春(著) ***

です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪




秘境

著者:谷口雅宣

(p.78~80)

 ――ただし、これが創作でなく事実の報道ならば、話は別だ。
 と金森は思った。
「現代文明から隔絶された森の奥に少女が一人で棲んでいた」という記事の設定は、それが事実であれば全国ニュースになる性質のものだと金森は思った。それならなぜ、もっとまっとうにいつ、どこで、誰が、何を、どうしたかを書いて、写真付きで大々的に報道しないのか? 今どき文明から隔絶された集落が日本国内にあるということだけでもニュースなのに、そこに少女が独りで生きているという状況は、人間的興味をそそる。そればかりでなく、本当にそんな場所で人間が生きてきたならば、その生活ぶりは、人と自然の関係を基本的なレベルで浮き彫りにさせるから、きっと面白い記事になる。
 そう考える一方で、金森は中学生の年齢の少女が、山の中で独りだけで本当に生きていけるのかどうか疑っていた。もちろん、過去にこれと似たような話が全くないわけではない。それは、十代の男の子が四十三年間山の中で独りで生きたすえ、二〇〇三年に五十七歳で茨城県の人里へ下りてきたという例である。この男の場合、腹が減っていて自動販売機をこじ開けたことから逮捕され、懲役一年、執行猶予三年の判決を受けた。彼は、山でヘビやネズミを食べていたというが、そういう生活を始めたのは十四歳ごろだ。それに比べて例の記事の中の少女は、七歳で父を失い、十歳では母も亡くしているのだ。男だったらヘビもネズミも食べるだろうが、十歳や十一歳の女の子にそれができるとは思えなかった。山形合同新聞の記事には、古い家と、父の遺した道具と、母から受け継いだ技術のおかげで少女は生き延びたように書いてあるが、話ができすぎていてどうもウソっぽい、と金森は思った。
 ――問題は、そんな“現代の秘境”みたいな場所が県内に本当にあるかどうかだ。



谷口雅春童話集5 幸福ものはだれ

著者:谷口雅春

マメ吉のお手柄 一 (p.18~20)

 山寺の和尚さんのところへ、今晩も狸のマメ吉がちょうちんをつけて遊びにきました。
「外はなかなか風がひどいらしいなぁ。ちょうちんの火が消えなくてよかった。さあさあこちらへ、また今晩も里のお話を聴かしてもらおうかなあ」
 和尚さんは、誦んでいたお経のご本をとじて、マメ吉の方をお向きになりました。
「はい、今晩は、きっと、和尚さまに喜んでいただけることがありますので……私は、あの階段を夢中でかけのぼってまいりました」
 マメ吉は、息がせかせかして声もとぎれとぎれでありましたが、顔にはかくしきれない喜びの色があふれていました。
 マメ吉は、もとは大変いたずら者で、里の畑を荒したり、罪のない女や子どもをだましたりして、里の人から嫌われていました。ある時、里の人から、とうとう尻っぽをつかまれて、もう少しで殺されるところだったのですが、ちょうどそこを通りかかった山寺の和尚さんにたすけられ、それからマメ吉は心をいれかえたのでした。そして、マメ吉はよく和尚さんのところに遊びにくるようになり、その日、自分が里で見たり聞いたりしたこと、それから自分が少しでも人間やほかの獣たちのためになることをしたことなどを、得意げに物語るのでした。
「喜んでいただけること? さあ、それはどんなお話かい」
「じつはきょう、百姓の権太がひどいことをしまして……。自分の飼っている三羽の鶏の首をしめて殺そうとしたのです。というのが、もうこんなに陽気があたたかくなりましたのに、鶏がちっとも卵を産まないものですからね。権太のやつ、とうとうかんしゃくを起しちゃったのです」
「うーん。そりゃ卵を産まなければ権太も腹が立つだろうが、少し短気すぎたなあ」
「そこなんです、そこなんです。権太はいっそのこと殺してしまって肉でも食った方がましだと考えたらしいんです」
「うーん、無慈悲な権太だ。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
 和尚さんはいたいたしげに、袂の中からお数珠を取り出して合掌されました。するとその時、ふと部屋の外から「クッ、クッ、クッ、クッ」と鶏の鳴き声が聞えてきました。
 和尚さんは不審そうに首を傾けられました。
「いいえ、その鶏を私がたすけてやりまして、じつは今晩、こちらへつれて参っているのでございます」
 マメ吉はうれしそうに、眼を細めて笑いながら言いました。