相愛会

躍進する相愛会 2025年12月


相愛会連合会長
花光 義正
 本年最後の「神性開発・国際平和大阪練成会」が12月5日から開催されます。
 そもそも練成会とは何か?について、各務教化部長が過日の相愛会役員会議で、次のようにお話をしてくださいました。
 「『いのちを引きだす練成会』(前生長の家総裁・谷口清超先生著)340頁には、練成会は実相を観る練習をする場であると説かれています。
 人間は神の子であるから、悪い人はいないはずで、悪く見えるのは、見る側の心に悪があるからで、いわば自身の心の展開が悪い人となって現れている。であるならば、私たちが実相覚により、実相を直視すれば、認めたものが現れることから、実相が顕現する。

 すなわち悪い人の奥にある“ほんとうの相”を直視すると、その相があらわれて、悪は夢のごとく消えて、その人の善のみが現れる。このように観る訓練をするのが練成会である」と、各務教化部長からお言葉を賜りました。

 他方、生長の家総裁・谷口雅宣先生著『飛鳥讃歌』58〜59頁には、この内なる本仏に帰依することこそ、真なる己れを生きることと謳われています。
 わが内に実相が宿ることに気づき、それを認めて、直視すること、すなわち、まずは自己の内にある実相を観ること、その訓練からですよと。

 そうすることで真の己、実相身のわれを生きることになる。以上から、練成会に参加することは、実相を観る訓練をして、まずは私たち自身が、実相そのものであり、実相であることから、私たちの眼前に展開する現象の奥にある実相をしかと観て、直視することができる。実相が実相を観る。いわば本物が本物を観て、認めることができる。そうすると認めたものが現れるので、本物つまり実相が現れる。

 各務教化部長は、「また、練成会に参加する人は、実相顕現の機縁が熟した方が参加される」と、練成会でよくお話しされます。“実相顕現の機縁が熟している”とは、今にも実相が現れようとしている(実相の創化作用)こと。啄同時よろしく実相が忽然として顕現して、光がさせば闇が消えるように、現象は消えて、問題は消えるというわけです。

 さらに各務教化部長は、「このような練成会に1年参加すると、いかなる問題も解決する」と言われます。1年間、練成会で実相を観る訓練をすると、実相が現れるしかない!ということだと思います。

 以上から、練成会に参加することの意義及びその功徳について、改めて明らかになりました。であるなら12月5日からの「神性開発・国際平和大阪練成会」、本年最後の練成会に参加して、実相を直視して良い新年を迎える心の設えをしようではありませんか。

 

稽首合掌

 

 

相愛会 毎夜の神想観実修のご案内



  1. 日 時:12日(月) 〜 31日(水) 21:00 〜 21:30(予定)
  2. 開催要項:LINEグループ「大阪相愛会員グループ」を利用したグループ通話にて開催
  3. テキスト:『“新しい文明”を築こう 中巻 実践篇「運動の具体的展開」』[定価 1,400円](谷口雅宣先生監修)
  4. 各週ごと実修する神想観  
    • ○第1週…基本的神想観
    •   
    • ○第4週…如意宝珠観
    •   
    • ○第2週…神を讃える神想観
    •   
    • ○第5週…浄円月観
    •   
    • ○第3週…四無量心を行ずる神想観
    •  

《お問い合わせ先:生長の家大阪教区 相愛会事務局 TEL:06-6761-8183(直通)》

 

 

 

相愛会 壮年層会員の先導による神想観実修・ネット座談会のご案内


【壮年層会員の先導による神想観実修】
 ●日時 : 12月28日(日) 21:00 〜
 ●会場 : Web


【壮年層会員のネット座談会】

 ●日時 : 12月28日(日) 21:30 〜
 ●会場 : Web

 

 

 

12月度 相愛会 誌友会について

【相愛会 誌友会】

テーマ : 「地上の生活は魂の学校である」
テキスト: 『普及誌3誌 No.189(2025年12月号)
       

 

 

相愛会 「自然と文化遺産の顕彰」自然の恵みフェスタ2025行事 が(11月2日)開催されました


11月2日(日)「自然と文化遺産の顕彰」を開催、野瀬泰良講師の案内で柏原市立歴史資料館を見学し「大和川の付替えや堰」について学びました。

 大和川は元々大和国(奈良県)から流れ来て、柏原付近で3つの河川に分流し、大阪城の北側を回って海へと流出。豪雨になるとこれらの支流が氾濫して多くの住民の生命と財産が奪われた。
 江戸時代初期、河内国の庄屋に生まれた甚兵衛が江戸幕府に大和川付替えや治水計画を46年にわたって嘆願し続け、遂に1704年、現在の新しい大和川に付替えられました。8か月で完成させた造成では、甚兵衛は農民でありながら幕臣に交じって工事を指揮した事で、苗字帯刀が許されて「中甚兵衛」と名乗りました。
 その後、新たに農地が開拓されて綿作が盛んになり「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほど繊維産業が発展しました。

 当日は、各務教化部長はじめ17名(うち壮年層6名)の参加者となりました。

柏原市立歴史資料館 集合写真 つけかえまでの大和川

 

 

 

関連リンク


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