真理への道はただひとつ
「人間は神の子だ」ということである

生長の家の基本的な教え

唯神実相 (ゆいしんじっそう)

「唯神実相」の「実相」とは本当にある世界のことであり、唯一にして絶対の神がつくられた世界のことです。実相の世界は神の御徳が充満していて、人間は神の子でであり、神と自然と人間とは大調和している世界です。つまり本当に存在するものは唯、神と神のつくられた完全円満な世界だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいます。一方、人間の感覚器官で捉える世界を「現象」と呼んでいます。現象の世界は全体の膨大な情報量のうち、人間の肉体の目、耳、鼻、口、皮膚で濾(こ)し取ったごく一部の不完全な情報を、脳が組み立て直して仮に作りあげている世界です。ですから、世の中には戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるように見えますが、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではないと説いています。

唯心所現 (ゆいしんしょげん)

「唯心所現」とは、この現象世界は人間の心によって作り出している世界であるという教えを表現しています。唯心所現の「心」とは「コトバ」であり、コトバには行動で表現する「身(しん)」、発生音で表現する「口(く)」、心の中で思う「意(い)」の3つがあり、これら身・口・意の三業を駆使することで、唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも作り上げることが出来るのです。唯心所現の法則は厳密かつ公平であり、悪いコトバを使えば、悪い世界が現象世界に現れてしまいます。従って善い世界を実現させようと思うなら、実相世界の善きコトバ、神様の御徳である、知恵・愛・生命をコトバで表現すればよいことになります。

万教帰一 (ばんきょうきいつ)

「万教帰一」とは、万(よろず)の教えを一つ(生長の家)にするという意味ではありません。これは後ろから読んで、一つの教えが万の教えとして展開していると説いています、宗教に違いがあるのは国や地域、民族によって服装が違うように、宗教も文化的な違いが現れているからだと言えます。目玉焼きに喩えると、中心部分の黄身を普遍的な根本真理と見立て、それぞれの宗教が共有していると考えます。一方、周辺部分である白身は、文化 、民族、時代などの違いによって変化している部分だと考えると分かりやすいでしょう。世界の各宗教が、この中心部分(黄身)の共通性と周縁(白身)の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることになります。それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えなのです。
宗教法人「生長の家」HPより引用)