真理への道はただひとつ
「人間は神の子だ」ということである

千葉の灯(せんようのともしび)2025年7月

―「霊牌」祭祀による先祖供養の素晴らしさ― 人間は皆、祖先と共に生きている!

教化部長 三浦 晃太郎
教化部長 三浦 晃太郎 こんな質問を受けたことがあります。
 「事業の繁栄や家運の隆盛の陰には、ご先祖の護りと導きがあると云われていますが、本当でしょうか」
 先祖供養は、私たち現世の人間の幸福と、好運や事業の繁栄に深い繋がりがあります。親が子供をこよなく愛するように、先祖の御霊は子孫を愛し、常に見守っておられます。
 「人間のいのちというものは、神から発して祖先をずっと貫いて、父母を通して今ここに生をうけているのであって、個人のいのちが突如として出現したのではない。だから吾々は個人と見えても個人に非ずして、全ての祖先のいのちと、その体験記録が生きている」と教えられています。人間は皆、祖先とともに生きているのです。

 父母・祖父母・曽祖父母と、先祖の数を数えてみると、その数は想像を絶する数になります。三十代まで遡ると11億人近い先祖がおられます。正確には1,073,741,824人です。代々の先祖がいなければ、現在の自分が存在しないことは明らかです。先祖とは、今ここに生きている生命の大本です。このことを、しっかりと自覚して先祖に感謝し、ご供養させていただくことは、私たちの当然の責務と考えます。

 先祖あっての子孫です。植物の根に養分が必要であるように、生命の根である先祖にも供養が必要です。供養には物を施す「物施」と、真理を施す「法施」があります。聖経『甘露の法雨』などの聖経の読誦は最も貴い「法施」であると云えます。生長の家の先祖供養の特徴は、聖経『甘露の法雨』の読誦により、先祖とともに神の子の自覚を深めるところにあります。

 かつて小学5年生の遙華(仮名)ちゃんは、朝一緒に食事をして会社に行った大好きなお父さんが、心筋梗塞で急死したことを知って大きなショックをうけました。白鳩会員のお母さんの貞子(仮名)さんは、遙華ちゃんに「お父さんは天国で生きていて、いつも遙華を見守ってくれてるから、そんなに泣かないで…」と、遙華ちゃんを一所懸命に励ましつづけました。愛する人との別れは、どんなにも辛く悲しいものであるか計り知れません。霊界に逝かれたお父さんは、肉体を脱して現象界の生活を終えられましたが、霊界において厳然として生きておられ、きっと遙華ちゃんを、折にふれ時に応じて導いてくださっていると思います。

 大聖師・谷口雅春先生は、「霊界の諸霊への供養のこと」と題して、ご教示くださっています。
 『あなたの愛する“誰か”がこの世から去って逝ったからとて神の愛を疑ってはなりません。決してあなたの「愛する人」はなくなったのではありません。人間の生命は“神の生命”が宿っているのですから、永遠の存在であり、久遠滅びざる存在なのです。常に永遠にその人の“霊”は生き通して、あなたが“その人”を思うときその人の“霊”はすでにあなたの側にいるのです。無論、霊界も現実界と同じく、唯心所現の世界でありますから、その人の心境に従って霊界で、その心境相応の世界に住んでいることは現世と一向異なりません。それゆえ、霊界の祖先霊、縁者の霊などの心境の向上のために、“真理の言葉”(聖経)を読んであげることは非常な功徳があることなのであります。だから常に、仏壇または祖霊祭祀の宝壇の前で聖経『甘露の法雨』を読んであげることは、霊界の諸霊を救済するところの非常な功徳ある法施(真理の供養)となるのであります。』
(『如意自在の生活365章』174頁)

 「先祖供養感謝祭」で祭祀された「霊牌」は、毎年8月に宇治別格本山で執り行われる盂蘭盆供養大祭で祭祀されます。宝蔵神社に祀られるということは、生長の家大神の御導きの許に、霊界に往かれたご先祖様が、人類光明化運動・国際平和信仰運動に、霊界から参画しておられることになります。生長の家は顕幽両界による協同運動ですから、祖先を祭祀するとともに、霊界浄化の大きな使命をもっています。

 千葉教区では、毎月13日教化部において、また千葉練成会において「霊牌」祭祀による「先祖供養感謝祭」を執り行っております。幹部・会員、信徒の皆様にはもちろんのこと、新しい人たちにも「霊牌」祭祀による御祭に参加されて、1人でも多くの方々が健康で豊かな人生を歩まれることを、切に願っています。