千葉の灯(せんようのともしび)2025年8月
人生の幸福・繁栄と「霊牌」供養 8月10日は「大先祖供養感謝祭」です
教化部長 三浦 晃太郎 私たちが、霊界のご先祖様に感謝の真心を捧げるために、古来より様々な先祖供養が行われてきました。そして現代では、「万教帰一」の生長の家の出現とともに、『聖経』や『讃歌』を読誦することにより、先祖と偕に神の子の自覚を深め、宗派を越えて御霊を供養するという画期的な方法が実現し、宇治別格本山の宝蔵神社に「霊牌」を祭祀して供養する“霊牌供養”が広く行われるようになりました。
千葉教区では、8月10日(日)教化部において、「大先祖供養感謝祭」が執り行われます。「霊牌」供養により、ご先祖様に感謝の誠を捧げましょう。
現世で生活を営む私たちが決して疎かにしてはならないことは、ご先祖様への深い感謝と心のこもった“ご供養”です。ご先祖様があってこその私たちであり、家族であります。今日の恵まれた幸せな生活も、すべては“ご先祖様の積徳”のお陰であることを、決して忘れてはなりません。私たちが感謝と報恩のまごころをもって、ご供養を行うことが、子孫繁栄の尊い功徳ともなって現れてくるのです。ご先祖様が喜んでいただく時、子孫に幸福が訪れることになります。
ほんとうに「根は先祖、幹は両親、子孫は枝葉であり、枝葉に花咲きよき果を結ぶは、親に孝養、先祖に供養」です。私たちの感謝の念を『聖経』や『讃歌』にこめて、“先祖の根”に注ぐとき、先祖の魂向上の喜びが子孫という枝葉に返ってきて、大調和で健康で、豊かな幸福の花が家庭に咲きこぼれるのです。
『聖経』や『讃歌』を読誦して、ご先祖の「霊」に直接、真理を語りかける生長の家の「先祖供養」は、それまで、まったく宗教と縁のなかったような人であっても、その日から、すぐ行うことのできる最高の“感謝・報恩行”であります。また、現世に生まれ出ることを望みながら、はからずもこの世に生を受けることのできなかった流産児の「霊」に対しても、愛と懺悔のまごころをもって、ご供養を行っていくことが大変大切であります。
「霊牌」祭祀について、毎年宇治別格本山で執り行われる盂蘭盆供養大祭では、前年度の「霊牌」を浄火で焼納し、新しい「霊牌」に招霊してお祀りしますが、この意義について、大祭の「送霊の詞」には、次のように謳われています。
『霊牌にうつりませる霊たちの霊波は世の常の現象界の理の習ひにて月波の経つるにしたがひ褪ひ行くものにして古きを去り浄めて新しき進歩にいたる理にならひて霊浄めの聖域において過ぎし世よりなほ残れる業障の因縁などのこれるものあらば古き霊牌と共に浄火をもって浄めんとするものにして過去の霊牌より新しき霊牌に移り行きて祀らるゝはみたまにとりては又一つの生まれ更りを経験したまふと同じく浄化向上の機会なり』
「先祖供養」の意義を真に理解するためには、「人間は神の子であって、永遠生き通しのすばらしい存在である」こと、そして肉体は自己の実相なる魂を磨く道具であることを、正しく理解することが極めて大切です。
人間は肉体がすべてであって、肉体の死とともにすべてが無に帰するという生き方を選択すれば、「先祖供養」の大切さを真に理解することはできません。なぜなら肉体の死とともに自分の人生のすべてが終わりますから、当然、ご先祖様とは何の関わりもないという生き方になります。
そうではなく人間の実相は、肉体ではなく、永遠生き通しの金剛不壊の実相身そのものの存在であって、肉体の死とともに自分の人生が終わることはないという生き方を選択すれば、そこから自分とご先祖様との一体感も自然にうまれ、常にご先祖様とともにあるという生き方になります。
神の子である私たちは、霊界のご先祖様と決して区別することのできない“自他一体”の素晴らしい存在です。ご先祖様は霊界において厳然として生きておられ、現世の私たちを、折にふれ時に応じて導いてくださっています。私たちはご先祖様とともに生きているのです。
ご承知のように生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動は、顕幽両界による協同運動です。祖先を祭祀すると共に、霊界浄化の大きな使命をもっています。大切なご先祖様や、現世においてお世話になって霊界に逝かれた方等を「霊牌」に記載してお祀りし感謝を捧げさせていただきましょう。