千葉の灯(せんようのともしび)2021年 12月
“聖使命会”と出会うことの素晴らしさについて
栄える会会頭 高津光晴
私は「生長の家」の信徒となって本当に良かったと感じるのは、神想観と聖使命会を教えていただいた事だと思っています。
谷口雅春先生編著による『無限供給の鍵』は、入信以来読み続けている聖典ですが、その一部を引用しながら体験したことを書かせていただきたいと思います。
報いを求めず与えること―什一献金の原理と方法―
宇宙の凡てのものは神のものであります。そしてこれらの全てのものは人間に利用され人間に喜びを与えるためにあるのでありますけれども、利己主義の人間は何一つそれをもつことは出来ないのです。人間の習慣や欲望以上のより高級なる法則が、地上に正義と平等とをもたらすために働いているという事を認識する時、人間は什一献金をおさめ、隣人を愛し、自分に対してしてもらいたい通りに他人に対してなすなどのことを為して、神の法則に従おうと決意することが出来るのです。こうして彼は、自分の利己主義や貪欲によって被る凡ゆるごたごたから離れ去り、健康になり、繁栄し、幸福になるのであります。(後略)(『無限供給の鍵』89頁)
ここで私の話をしたいと思います。まず最初は、今から20年位前のことになりますが、「生長の家」の御教えに関心を持った私は、当時の『光の泉』誌やラジオ放送で知ることが出来た関東近辺で開催される「講習会」に出かけるなどしておりました。
当時は地元に「浦安相愛会」があり、相愛会長はSさんという大手広告代理店の社員の方で、そのSさんの夢は、浦安地区に東西南北の4つの相愛会を立ち上げていくというものでした。既に隣の市川市行徳地区には「市川南相愛会」があり、「浦安相愛会」は私の家から20分のところに拠点がありましたので、次に「浦安北相愛会」を設立することになりました。そのSさんから「あなたが相愛会長になるのだから、まず聖使命会費取扱者になって聖使命会の内容を知る必要がありますね」と言われました。それまでは聖使命会費は取扱者であり相愛会長でもあるSさんにお渡ししてきましたので、自分が取扱者になることに対しては非常に不安でした。
しかし、相愛会を分けつすることになった以上は取扱者の責務を果たさなくてはなりませんので、誌友会に参加するたびにSさんに仕事の内容を教えていただきました。
その後、Sさんは海外出張が多くなり、なかなか誌友会を開催することが出来なくなりましたので、4名の誌友さんに「浦安北相愛会」に転籍していただき、誌友会を定期的に開催し、私自身が聖使命会費取扱者になっておりましたので、聖使命会費もスムーズに預けていただけるようになりました。
しかし、残念ながら、諸々の事情で「浦安相愛会」も「市川南相愛会」も現在は存在しておりませんが、「浦安北相愛会」は現在も浦安地区の真理の灯台として、人類光明化の光を燈し続けております。
次に、私の経営するマンションに入居している店舗のことです。
マンションの2階にイタリア料理のレストランが入居してくださっています。私はこのレストランと1階の3店舗を合わせた4つのテナントさんのほか、入居者の入退去手続を委託している不動産会社等全てを「什一会員」として祝福させていただいております。
そのレストランですが、飲食店ですので当然火気を使用しますから、もしものことがないように注意しながら仕事をしていただくようお願いしております。しかしながら、“寸胴鍋”のお湯を一時に大量に流し台に開けてしまった時、多量の水蒸気によって熱感知器が感応してしまい、警備会社の人間が駆けつけるということもありました。また、ある夜の22時頃に火災ベルが鳴り、2階の表示ランプが点灯していたためそのレストランに向かいますと、店舗奥の事務所内でプラスチックのゴミ箱が燃えて、すぐ隣の従業員のユニフォームに燃え移る寸前で従業員が火事に気付き消し止めたところでした。床は一部黒焦げになっていました。この事故によって心に観じましたことは、神様はいつも私達の傍にいてくださり、いよいよ危ない時でも私達を災難から御護りくださっているということでした。それも「生長の家」を知り、聖使命会員として常に神様の方に心を向けているからだと思います。
『無限供給の鍵』には次のように説かれております。
(前略)什一献金を実行することに伴う他のおかげは、自分が受け取るものを継続的に「送り出す」ことであり、それによってその人の心を善きものに対して開放し、貪欲(どんよく)を遠離(おんり)することが出来るのであります。(後略)(『無限供給の鍵』93頁)
最後に、聖使命会員となって相愛会員になられた方の体験を書きたいと思います。私の行きつけのお寿司屋さんに来るお客さんにTさんという方がおります。支払いなどは大変気前の良い方なのですが、閉店間際になってもお酒やお寿司の注文を止めず、お店を閉めることができずに店主さんは困っておりました。Tさんは、お店の前に大きな外車を運転手付きで長時間駐車するような裏金融の親分なので、文句も言えずにいたのでした。
そこで私は店主さんに“聖使命会に入ったら神様からのご加護をいただけ、良い事になりますよ”と聖使命会を説明し、什一会員となっていただきました。1か月位経った頃、店主さんが「Tさんが早く帰ってくれるようになったので助かっています」と言ってきました。Tさんは奥さんに“もっと早く帰りなさい”と言われたようです。
『無限供給の鍵』の94頁には次のように書かれています。
(前略)什一献金を献納する人は、絶えず報謝金を出しているので、摑む心、恐れる心、限定する心などが起らなくなるのであります。什一献金を行うことほど、人間の心から恐怖をのぞき、よきものを絶えず受け入れることが出来る方法は他に見出せないのです。(後略)(『無限供給の鍵』94頁)
この真理を多くの人々に今後もお伝えしたいと思います。
絵手紙で“信仰の絆”をつないでいきましょう!
「新型コロナウイルス」感染者の数は減少傾向にあるものの、未だ「感染終息宣言」は出されておらず、引き続き「ネットフォーラム内の各種行事」のみが開催されている状況です。そのような中、“ネットフォーラム”に参加できない組織の会員が孤立し“信仰の絆”が切れてしまうことがないよう、電話や絵手紙などをもって、連絡を取り合うとの取り組みが進められています。
稙田茂樹教化部長へ
絵が不得意だと思われている方も、思わぬ隠れた才能を発揮されています。その素晴らしい作品をご紹介いたします。
白鳩会・市原総連長瀧繁子さんのアイディア(書き損じはがきの再利用)書き損じはがきに色を塗ったり、折り紙を切って貼ったり、笑い文字を書いたりすれば、素晴らしい絵手紙に大変身!
* 多数の方から「千葉の灯」掲載に関し、数多くの推薦を頂戴しております。
しかしながら都合上、全てを掲載できませんこと、ご理解下さいますようお願い申し上げます。

安達敏広連合会長(船橋市)へ

深井正海・佳代子さん(習志野市)へ

齋藤弘子さん(市川市)へ
皆さんの居住地域の自然や文化遺産をご紹介下さい。
2021年5月号より、千葉教区のフェイスブックに投稿された千葉県内の“豊かな自然や伝統ある文化遺産”を、オンライン環境に馴染めない方々にもご紹介する目的で「千葉の灯」に掲載しております。
今月2021年12月号でも素晴らしい投稿をご紹介します。
久留里伝統工芸品「黒文字楊枝」 【市原市 柴崎 直子】
黒文字楊枝をご存じですか?茶道の和菓子には欠かせない楊枝です。黒文字という木から作る楊枝で、芳香、殺菌力、丈夫さで、他の木には代え難い価値があるそうです。
この楊枝は久留里藩の下級武士の内職から始まり、全国に広まったと伝えられている久留里伝統手作りのものです。様々な形があり、写真のものは「竹む寿び(たけむすび)」という名が付いていました。脱プラスチックに黒文字楊枝、いかがでしょう。
布施弁天 【柏市 水谷 正子】
柏市にある関東3大弁天の1つとして名高い「紅龍山布施弁天東海寺」は「布施の弁天さま」として親しまれています。
竜宮城の形をした縁起の良い門をくぐります。本堂は嵯峨天皇より823年に寄進されました。本堂の向拝の回柱に菊の紋章があるのはその為です。
弁財天像の本尊は弘法大師作と伝えられており、本堂は何度か天災、戦乱で焼失しましたが、1,717年に現本堂が完成しました。
稲毛浅間神社 【千葉市 絹井 芳香・村上 邦子・庄野 佳津子】
浅間神社は、霊峰富士のご神威を仰ぎ戴きまつる神社として全国に1500社あまりが祀られ、その中心は静岡県富士宮市の富士山本宮浅間神社です。
稲毛浅間神社は大同3年(西暦808年)、富士山本宮浅間神社よりご分霊を戴き、お祀りした時に始まると伝えられています。
東京湾に面した小高い砂丘上に、赤土を盛り上げて富士山の形に作り、富士山と同じく三方に登山道を設け、その頂上に富士山の方向である西に向けて社殿を建立してあるそうです。
主祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。国つ神、大山祇神の御姫です。
姫は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の后妃となられ、そのお子様のお一方が神武天皇のお祖父さまに当たられます。
つまり、ご皇室のご先祖に当たられる神様で、ご神徳は安産、子育ての守護神です。
配祀には、瓊瓊杵尊、猿田彦命(さるたひこのみこと)。
境内及び近隣に広がる松林は、埋め立て前の海岸の名残であり、「稲毛の松林」として、千葉市指定名勝となっています。
銚子 【銚子市 加瀬 裕子】
銚子といえば犬吠埼灯台。
このたび重要文化財に指定されました。 平地で日本一早い日の出でも有名ですが、海に飛び出た地形の銚子には夕陽スポットもあります。
それは国の天然記念物、屏風ヶ浦。旭市まで続く崖は遊歩道も整備されているので、間近に300~200万年前の地層を見ることができます。
夕方には海に沈む太陽が美しくロマンティック。晴れた日には遠く富士山のシルエットが浮かぶことも。冬にはダイヤモンド富士を撮ろうと写真愛好家がやって来ます。
外川漁港の方に歩くと、源義経が奥州に逃げる時に置き去りにされた愛犬が7日7晩泣き続け、8日目に岩になってしまったと伝わる「犬岩」があり、風の強い日には波の花が吹き出します。